「ほどよく整える」とは、どういうことだろう

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「ほどよく整える」とは、どういうことだろう | Cocon

ミニマリストの本を、何冊か読んだことがあります。

服は10着あれば足りる。家具は最小限に。持ち物はすべてリストにできるくらいまで減らす。
ページをめくるたびに、なるほどと頷きながら、心のどこかで小さな違和感も感じていました。

たしかに、すっきりと暮らせたら気持ちがいい。
けれど、自分にはここまでできないかもしれない。

そう思いながら本を閉じる夜が、何度かありました。

目次

整えたい、けれど削ぎ落とせない

物を減らせば暮らしは整う。
それは、たぶん本当のことです。

けれど、減らすことそのものが目的になってしまうと、暮らしはどこか息苦しくなる気がしています。

お気に入りの食器を「使う頻度が低いから」と手放すのは、少し寂しい。 読み返すかわからない本も、背表紙を眺めているだけで安心することがあります。
クローゼットの中の、いつか着るかもしれない一着にも、それなりの理由があります。

ミニマリストになりきれない自分を、長いあいだ少し恥ずかしく思っていました。

でもあるとき、ふと気づいたのです。
整えたいという気持ちと、削ぎ落とすことは、必ずしも同じではないのだと。

「ほどよさ」は、人によってちがう

「ほどよさ」は、人によってちがう
「ほどよさ」は、人によってちがう

ある人にとっての「ちょうどいい」は、別の人にとってはまだ多すぎるかもしれません。
逆に、誰かが理想とする最小限の暮らしは、自分にとっては寒々しく感じることもあります。

ほどよさには、決まった正解がありません。
それは、自分の暮らしと向き合いながら、少しずつ見つけていくものです。

朝起きて、心地よいと感じる部屋の景色。 帰宅したときに、ほっと息がつけるリビング。 休日の朝に、お気に入りのカップでコーヒーを淹れられるキッチン。

そうした瞬間を増やしていくことが、自分にとっての「ほどよく整った暮らし」の輪郭をつくっていくのではないでしょうか。

数を減らすことよりも、自分が何を心地よいと感じるのかに、耳を澄ませてみる。

そこから始めても、きっと遅くはありません。

完璧でなくていい、という許し

整える、という言葉には、どこか「きちんとしなければ」という響きがあります。
けれど、完璧に整った部屋を365日キープし続けることは、現実的ではありません。

仕事で疲れた日には、洗濯物をたたまずにソファに置いてしまう日もある。 週末にまとめて片付けようと、平日はほどほどで済ませることもある。

それでもいいのだと思います。

整えるとは、いつも整っている状態ではなく、整えたいときに整えられる余白を持っておくこと。
そう思えるようになってから、暮らしはずいぶんと軽くなりました。

ほどよく整える、というのは、たぶんこういうことです。

完璧を目指さず、自分の心地よさに正直に。
減らしすぎず、ためこみすぎず。 今日できることを、少しだけ。

繭のなかでゆっくりと育っていく時間のように、暮らしも、自分の歩幅で整えていけたらと思っています。

「ほどよく整える」を具体的なかたちにしたいと思ったら、収納アイテムを 少しずつ選ぶところから始めてみてもいいかもしれません。

無印良品の 収納アイテムは「無印良品で揃える、暮らしの収納アイテム完全ガイド」に まとめています。

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この記事を書いた人

都心近郊のマンションで、在宅ワーク中心に暮らしています。
震災やコロナ禍をきっかけに、暮らしと備えを見直す日々をCoconに綴っています。
完璧を目指さず、ほどよく整えて、ゆるやかに守る。
そんな小さな工夫を、ゆっくり書いていく予定です。

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